PACIFICサイバーセキュリティ研究所

コラム

25年10月号 なぜ人は怪しいリンクをクリックしてしまうのか:ヒューマンエラーの心理的背景

著者:PACIFICサイバーセキュリティ研究所 研究員 H.M
公開日:2025年10月28日()
コラムテーマ:心理とセキュリティ

「このリンクは怪しい」と頭では分かっていても、つい開いてしまった経験はないだろうか。セキュリティ研修を受けた従業員でさえ、フィッシングメールの被害に遭うケースは後を絶たない。その背景には、私たちの脳に深く刻まれた心理メカニズムが存在している。

好奇心という本能的な罠
「支払い方法に異常があります」「配達できない荷物があります」――自分に関係がありそうだと感じた瞬間、確認せずにはいられない衝動に駆られる。私たちの脳は、自分に関わる情報に対して優先的に注意を向けるようにできている。特に業務中や移動中のように注意が分散している場面では、この反応はより顕著になり、冷静な判断力が低下する。

緊急性が生む判断の歪み
「24時間以内に対応しないとアカウントが削除されます」――このような時間的プレッシャーは、認知能力を著しく低下させる。心理学の研究では、焦りが思考の余裕を奪い、普段なら気づくはずの不自然な点を見逃させることが明らかになっている。緊急事態に直面すると、人間の脳は「闘争・逃走反応」を起こし、じっくり考えるよりも素早く行動することを優先する。サイバー犯罪者はこの心理を利用しており、意図的に焦りを生み出す文言で冷静な確認プロセスを飛ばさせる。

権威への服従心理
上司や取引先を装ったメール、銀行や警察を騙る通知――権威ある存在からのメッセージだと思うと、人は疑問を持ちにくくなる。職場では特に「確認したら失礼かもしれない」という心理的抵抗が、セキュリティチェックを省略させてしまう。日常的に他者を信頼して業務を進める習慣は組織運営上必要だが、それゆえにビジネスメール詐欺の標的にもなりやすい。

認知バイアスという落とし穴
私たちの判断は、さまざまな認知バイアスに影響されている。「正常性バイアス」は「自分だけは被害に遭わない」という楽観を生み、「確証バイアス」はメールが本物だという前提を裏付ける情報だけに注目させる。
また、「これまでも大丈夫だった」という経験則は慣れによる油断を生み出す。サイバー攻撃者は企業のロゴや書式を巧みに模倣し、見た目の信頼性を高めることで、これらのバイアスを悪用する。微細な送信元の違いやURLのズレといった違和感は、注意力の限界と相まって見落とされてしまうのだ。

対策:心理を理解し、行動を変える
では、どう対策すべきか。技術的な防御も重要だが、人間の心理的リテラシーを高めることが不可欠だ。
まず、メールを開く前に深呼吸し、冷静さを取り戻す習慣をつける。緊急性を感じたときこそ一度立ち止まり、「本当にこの指示に従うべきか?」と自問することが重要だ。
次に、リンクをクリックする前の確認ルーチンを確立する。送信者のアドレスを注意深く確認する、URLにマウスを重ねて実際のリンク先を見る、別の方法で送信者に確認する――これらを習慣化することが有効だ。
組織としては、実務に即した標的型メール訓練を定期的に実施し、訓練後には具体的なフィードバックと振り返りを行う。
また、「疑わしいメールを開いてしまった」という正直な報告を責めるのではなく、
早期発見につながる貴重な情報として評価する文化を作ることも欠かせない。

おわりに
セキュリティは「技術×人」の掛け算である。どれほど高度なシステムを導入しても、人間の心理的弱点を放置していては防御は不完全だ。
完璧な人間はいないが、自分の心理的弱点を知り、それを補う仕組みを持つことが最良の防御策となる。
一呼吸置いて考える――その小さな習慣の積み重ねが、組織を守る最大の防御となる。

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